あいちの注目企業

2024.04.01
「本物にこだわる」 コロナ禍で拡げた「あられの匠白木」ブランド
株式会社白木
代表取締役 白木一郎
名古屋市北区元志賀町1-57

 2022年の米菓菓子販売金額は3,628億円。10年前の2012年3,376億円、15年前の2007年3,203億円(全日本菓子協会 菓子統計調べ)と、日本人に根ざしたお菓子として販売額は着実に増えている。米菓カテゴリーにはあられとせんべいが含まれるが、あられはもち米を、せんべいはうるち米を原料としている。焼くとふっくらと膨れるもち米の特性で、柔らかな食感があられの特徴である。
 株式会社白木のあられは、吟味された最高級素材を使い、手間を惜しまず、時間をかけて丁寧につくられる。「あられの匠白木」ブランドとして直販の他、全国展開の百貨店の売り場やそのギフトカタログ、クレジットカードのブラックカード会員向けのプレミアムカタログなどに掲載されるなど贈答品としても評価を受け、「名古屋ひつまぶしあられ」は“なごや菓八菓(なごやかやか)”コンテストで銘菓八菓に選ばれるなど「本物」を作り続ける。

三代続く米菓業

 足助で農家を営んでいた白木寛一氏が米菓業を始めたのは、戦後、名古屋であられ製造を始めた同郷の仲間に誘われたのがきっかけ。昭和25年のことである。
 「祖父は、杵と臼で餅をつくところから手で延ばしてさいの目に切断、乾燥させた後にコークスで焼きあげるまで、すべて手づくりで行っていたと伝え聞いています」と現社長・三代目の白木一郎氏。
 まだまだお菓子に飢えていた時期で売り上げも伸びていたが、寛一氏が病気となり、当時20才前後だった二代目白木光雄氏が一家の大黒柱として後を継ぐことになる。
 「父はもともと機械、電気いじりが好きで、エンジニアの道に進みたかったそうです。家業を継ぐ事は不本意だったようですが、機械の自動化、省力化、独自化を図るなど得意な事を仕事に活かし、どんどん仕事にのめり込んでいったようです。メーカーが舌を巻くぐらいのアイデアマンでマシンを工夫、改造し、他社ではできないあられをつくっていました」。
 現社長の白木一郎氏は、父から「電気・機械を学んでおけ」と言われ、地元の工業高校を卒業。その後、京都の老舗あられ屋で三年間あられ修行をする。
 「奉公先の社長は、福井から身一つで京都に出てきて河原町に自社ビルを立てた程の立志伝中の人物で、とにかく厳しい会社でした。あられの技術を磨くというよりは商売人としての基礎を学ぶだけで三年が過ぎてしまった様な気がします。観光都市京都では、幾つかのあられ屋が自社のブランドによりお店を構え、観光客相手に商売として成り立っていました。父の事業はOEMばかりでしたので、こうした自社商品のブランド化や小売のビジネスにあこがれを持つとともに、非常に勉強になりました」。

業務卸専業から小売へ、三代目の挑戦

 その後、21歳で家業に戻ったタイミングでバブル景気がはじけ、OEM専業だったビジネスが大きな打撃を受ける。
 「父の代まではOEMの業務卸専業、スナックのおつまみ向けなどが主力でした。当社の商品は父の技術のおかげで他社にはない珍しい味や形状のあられがあり、こうした製品はスナックにとってもありきたりの『乾き物』とは違い、見た目にも新しくやや高い価格設定にすることができるため重宝されていました。しかし、その主戦場からの注文が激減し、OEM、おつまみ関係だけでは先行きが見通せなくなっていきました。そんな折、卸100%であったもち吉社が製造直売モデルで成功していたことから、メーカーが直接消費者に売る機運が高まり始めました。そこで平成6年、修行先で学んだ小売りのノウハウを活かし、工場に隣接して立ち上げた店舗が『あられの匠白木』です。交通の便が良いわけでも観光地が近くにあるわけでもなかったので、開店当初はお客様も少なく、売上が0円だった日もありました。しかし小売り創業から30数年経った今では、本店、五反田両工場併設店舗ほか、松坂屋名古屋店、銘店、各商業施設、お取り寄せなど、様々な場所で販売いただけるようになりました」。

型抜きあられと海苔巻きあられに強み

 現在、売上は大きく三つに分類される。
 一つ目は直販による「あられの匠白木」ブランド、二つ目はアッパーブランド向けOEMに特化した卸部門、三つ目はお茶漬けあられを核とした食材、外食関連商品である。
 「直販は店舗の他に通販も行っています。お客様の生のご意見を聞きたいとギフトの通販にお客様ハガキを入れるようにした事がきっかけです。おかげ様で現在では全国17,000件のお客様からご注文をいただけるようになりました。こうした経験が今のインスタを中心としたSNSの展開につながっています。自社ブランドを持つことは自分たち独自の販売ルートを確保できることの他に、従業員のやりがいの点で大きなメリットがあります。自分たちの作った商品が直接的に売れたり『おいしかった』と言われたりすると、従業員の方は誇らしく思うようです」。
 OEMの卸部門には、業界内でも「白木に頼んでみては」と高い評価を受ける強みがある。
 「OEMでは、お客様のご要望をお聞きし、コンセプトにあったあられを一から提案・開発していきます。その中でもご期待いただく事が多いのは型抜き物と海苔巻き物です。型抜き物については従来からも季節感を演出したいとのご要望が多く、先代の頃から得意としていた、桜、もみじ、星、梅、扇など型抜きあられ製造が強みです。海苔巻き物については、創業当時から売上の屋台骨を支えており、一枚一枚手巻き生産でしかできない『見た目の美しさ』を強みとして、デパートで展開されているアッパーブランド向けのOEM先様からの受注に繋がっています。パート60名ほどで繁忙期には1日に400kg以上生産しており、手巻き生産量としては日本一ではないかと思います」。

白木ブランドの確立と商品開発力

 このように多くの顧客層に受け入れられるこだわりの材料・製法と製品開発力。
 「京都での修業を終えてすぐ、アメリカ全48州と全国立公園をバイクでキャンプして回っていた時期がありました。現地の食事やお菓子に触れる中で、日本製品の品質の高さから、メイドインジャパンは必ずブランドになると実感していました。先代から大切にしていた日本産の原材料へのこだわりもブランド化の大きな支えとなると考え、佐賀県ヒヨク米、海苔は有明産ほか国産の青海苔、和歌山県産の山椒などメイドインジャパンの素材にこだわった『本物の』あられづくりを信条にしています。製法については昔ながらの杵つき、商品によってはせいろを使用、手焼きの窯で焼き上げるなど手間がかかってもその商品にあった製法であられをつくることが非常に大事なことだと考えています」。
 OEM先の提案力は、自社ブランドでの製品開発にも活かされる。
 看板商品は、新鮮な刻みたてのごぼうを餅にたっぷりとつき込んだ『ごぼうあられ』、原材料はしょうゆ・餅米のみを二度焼きでしょうゆの焦げが癖になる『おこげ餅』、カレーうどんを思わせる和風ダシの効いた『和風カレーせんべい』他、色・形とりどりのあられに色鮮やかなドライフルーツをミックスした見た目にもとても美しい『吹きよせシリーズ』など、ラインナップも多彩。

 「最近の商品開発は単に新しいあられ商品というだけでなく、どのようなきっかけで召し上がっていただけるのか、ということにも重点を置いています。このきっかけとなったのは、2021年春、名古屋商工会議所様主催の『新しい名古屋の和菓子コンテスト』でした。当社は『名古屋ひつまぶしあられ』を開発し“なごや菓八菓”に選定していただくことができたのですが、『名古屋土産』という切り口を見出すことができました。お土産品などでご好評をいただき、またフジドリームエアラインズでの機内サービスとして提供されることにもなり、近年では最高のヒット商品となりました。また、8種のあられに、にこ玉ボーロ、メッセージ入りの『ありがとう飴』の計10種を合わせた『感謝感激飴あられ』は、オリジナルで掛け紙メッセージのオーダーができることからプチギフトとしても高い人気をいただいています。オーダー最小ロットは20個~。商標登録も済ませ、これを企業のノベルティグッズとして新たな販路開拓につなげられないかと模索中です」。

コロナ禍で大打撃、オンライン化した商談会で拡がった販路

 コロナ禍では、OEM向けとなるアッパーブランドの主力のデパートが休業し、大打撃を受けたとのこと。
 「一時は会社の売却も選択肢の一つに、というところまで追い込まれ、死にものぐるいになって販路開拓に力を入れました。取引銀行からはコロナ禍をきっかけとして始まったオンラインビジネスマッチングに参加してみないかとお声がけをいただき、それまでは希望してもなかなかチャンスに恵まれなかったような大きな会社との面談が実現するようになりました。折しも百貨店の売り場の一角を週代わりで店舗や商品を入れ替える『ポップアップコーナー』で数回依頼を受けた実績などができてきたというよいタイミングだったこともあり、全国展開の百貨店や大手商社、観光地、商業施設などとの取引も始めることができるようになりました。また、クレジットカードのブラックカード会員向けのプレミアムカタログや全国展開百貨店のギフトカタログなどにも掲載される他、日本の贈答品100選にも選んでいただけたり、雑誌掲載もしていただけたりするなど、今まででは手の届かなかったお客様とのお取引も成功しました。まさにコロナは『ピンチはチャンス』となりました。オンラインの商談会でなければ面談は実現しなかったと思いますし、商談会をご紹介いただいた金融機関様や同じタイミングで『名古屋ひつまぶしあられ』を“なごや菓八菓”に選定していただき強い追い風を吹かせていただいた商工会議所様には感謝しかありません」と窮地を脱したコロナ禍を振り返る。
 米菓業の同業者は激減しており、祖父の頃には県内で300社あったと聞いていたが、現在は10社を切る状況になっているとのこと。
 「お菓子業界で洋菓子と和菓子とに大きく大別すると、洋菓子は時代の流れが早く、それに対応していく『新鮮さ』が人気を集める傾向にあると思うのですが、和菓子業界は『創業××年』などの“のれん”で商売をする、という側面がブランド化につながります。当社は自社商品を作り始めて今のように自社商品で勝負できるようになるまで30年かかりました。最近、修行時代に京都であこがれを持って見ていた老舗ブランドと並んで大手商社のギフトカタログに載せていただけることになり、感慨もひとしおです。今後も自社ブランドに磨きをかけて、取扱いいただける売場を拡大していきたいと考えています。商業地においても現在、御園座、名古屋港水族館、金シャチ横丁などで販売いただいておりますが、お土産菓子としてのブランドを更に確立していきたいと考えています。老舗の和菓子店様の足元にも及びませんが、会社の100周年を見届ける事が私の夢です」。