あいちの注目企業

2022.07.01
名古屋コーチンをもっと広く普及させるために
株式会社南部食鶏
代表取締役 杉本 康明
名古屋市熱田区2番2丁目4番5号

どこに注目

 株式会社南部食鶏 代表取締役杉本 康明氏(以下 杉本社長)の名古屋コーチンに対する思いです。
 具体的には名古屋コーチンを海外にもっと広く普及させたい熱意と名古屋コーチンを承継させる気概に注目しました。

会社の沿革

 創業は1966(昭和41)年です。1986(昭和61)年に若鳥のブロイラー加工設備を設置しました。1988(昭和63)年11月名古屋市農業センターの協力を得て名古屋コーチンの正肉、パーツ品、加工品等の当組合以外への販売を開始しました。1989(平成元)年に直営農場の他、委託農場も加えて増羽しました。
 そして現在は、南部食鶏の純系名古屋コーチンとして愛知県下8箇所の直営契約「純系名古屋コーチン専用農場」で飼育しています。 1995(平成7)年には スモークハウス(ドイツ製)、真空タンブラー冷蔵庫を設置し燻製品製造を開始しました。この機械の導入は非常に珍しく話題になりました。

2000(平成12)年 「純系名古屋コーチン工房」としてインターネット通販を開始しました。
2004(平成16)年 トレーサビリティシステムを導入、履歴情報公開サービスを開始しました。
2012(平成24)年 名古屋コーチン生鳥処理工場では初の食品安全マネジメントシステムISO22000:2005認証を取得しました。
2023(令和05)年 4月~ 加工場を拡大 ソーセージ作業場の機械化が始まります。

そもそも名古屋コーチンとは

 誕生は1905年と古く、中国産の「バフコーチン」という鶏と、名古屋周辺で飼育されてきた地鶏を交配させて作った品種です。名古屋コーチンは、明治時代に旧尾張藩士の海部壮平(かいふそうへい)・正秀(まさひで)兄弟によって作出された地鶏の傑作品で、その優れた肉質や産卵能力が全国で評判となり、国産実用品種第一号に認定され、明治時代から昭和30年代までの養鶏産業の発展とともに活躍してきました。海部兄弟が養鶏を始めたのが名古屋市郊外に位置する今の小牧市でした。

名古屋から来た鶏だから名古屋コーチン

 都市養鶏の利点に目をつけた尾張藩出身の人達は京都、大阪を中心に進出して養鶏場を開き、愛知県から持って行った鶏を大いに広めました。名古屋地方から来た鶏ということで「名古屋コーチン」と呼ばれて評判となり、その名が定着されました。

名古屋コーチン絶滅の危機

 昭和37年以降、採卵専用、肥育専用に改良された外国産の鶏が輸入されると、養鶏場も大量生産(早く大きくなる品種)に適した鶏へと変わっていきました。名古屋コーチンは肉質油分にイノシン酸やミネラルが多く脂肪が少ない鶏肉ですが、出荷までにブロイラーの3倍近い時間を要することもあり、名古屋コーチンは次第にその数量が落ち込み、30万羽まで減少しました。 

肉用鶏としての改良と普及活動

 昭和40年代に入り、名古屋市農業センターにおいて名古屋コーチンの種鶏の確保、養鶏農家、処理場、ふ化業者、料理店等の協力のもと普及方法の研究といった復活の取組みが始まりました。
 また、愛知県も名古屋コーチンの大型化に向けた改良を手がけ、鶏肉生産用の「肉用名古屋コーチン」を作出し、供給を開始しました。 

3月10日は名古屋コーチンの日

 1981年(昭和56年)名古屋コーチン普及協会が設立されました。愛知県では名古屋コーチン協会と共同で、毎年3月10日を名古屋コーチンの日として、地鶏では全国で初めて日本記念日協会へ登録しました。名古屋コーチン普及協会は名古屋コーチンのPRに向けての取り組みを継続しています。写真は防災非常食の乾パン缶詰のパッケージに名古屋コーチンイラストを使用しています。

愛知万博で知名度アップ

 愛知万博(2005年3月~9月)に名古屋コーチン普及協会は、愛知県ブース内で名古屋コーチンブースを出展してPRに努めました。杉本社長も前代表と共に応援に駆け付け、名古屋コーチン焼き鳥を作り続けました。この出展をきっかけに全国から来場された皆さんに名古屋コーチンがアピールでき、全国知名度が一気に上がりました。

食べ比べると一目瞭然

 名古屋コーチンは肉の繊維が細かいため、冷めると固くなる性質をもっており、唐揚げは難しいといわれております。また調理した名古屋コーチン焼き鳥も同じように、1時間経過すると身が固くなってしまうため、出来立てをその場で食べる飲食店の需要が中心になります。名古屋コーチンとブロイラーの肉質食品分析は同じような数値が出ますが、油分が異なるため、食べるとブロイラーとの違いが直ぐに分かります。ブロイラーの飼育期間が47日前後ですが名古屋コーチンは125日前後と時間を掛けます。しかも1㎡当たり10羽と十分に動き回れるスペースで飼育します。 

名古屋コーチンをシンガポールへ輸出準備中

 香港への鶏食材の日本料理は「世界の山ちゃん」が非常に強く、日本全国から地鶏、銘柄鶏が多々輸出されており、愛知県の事業者におきましても数社進出しているため、市場としてはレッドオーシャンに該当します。また、台湾へは愛知県に本社がある丸ト鶏卵販売株式会社、株式会社さんわコーポレーションが進出しています。 
 これら以外の東南アジアに目を向けると三栄鶏卵株式会社が2012年からシンガポールにてTAMAGOを展開していました。生卵6個900円と高額ではありますが、現地での販促活動努力もあり認知され軌道に乗っています。日本の卵に合う鶏肉料理をコンセプトと考えシンガポールを輸出先としました。肉製品を海外へ輸出する場合の基準ハードルは非常に高いです。特に鶏は鳥インフルエンザの問題もあり、輸出先国の基準に合う施設にしなければならず、その基準ハードルが一気に高くなります。名古屋市から厚労省を通じてシンガポール政府にアプローチをお願いしていますが時間を要しています。 

地鶏がそのまま英語になる日

 杉本社長がアメリカのカリフォルニアに行ったとき、地鶏ソテーを食べてその美味しさに驚きました。将来は JIDORIもSUSHI(寿司)やTEMPURA(てんぷら)と同じようになる、日本を代表する国際料理になると考えました。この思いが名古屋コーチンをシンガポールに輸出する原動力の一つでもあります。

杉本社長のPR活動は凄い

 新型コロナ禍にあって飲食業者への出荷が厳しい状況にありました。他方、家飲みやZoomによる飲み会が浸透しつつありました。そこで杉本社長がZoomによる焼き鳥教室を開催しました。 焼き鳥教室は2021年夏、20組2時間、体験キットを準備して臨みます。事前にカットした名古屋コーチン肉と串25本を3,000円で購入頂き、Zoomを通じて一緒に調理します。秘訣は、皮7割、身2割、皮1割の焼き方です。これにより表面はカリカリ、中はジューシーな仕上がりになります。

写真:株式会社ウィーケン

加工場の拡大

 飲食店への出荷が8割、残り2割が小売とネット販売です。新型コロナ禍は大変に苦しく、厳しい状況が続きました。需要に関わりなく成長した名古屋コーチンを契約養鶏農家から定期的に仕入れることもあり、その対応に苦労しました。このように考えると加工場の拡大、機械化が必要になります。

食にこだわった食の伝承

 直営契約養鶏場8軒と取引しています。杉本社長は使用する飼料にこだわりを持っています。飼料メーカーと直接話をして、植物性タンパク質を多く含んだ飼料から名古屋コーチンの腸内活性化を図り、油分の少ない肉づくりを目指しています。契約養鶏場は指定された飼料を使うためコスト増の悩みもありますが杉本社長の情熱が通じている証です。
 鶏の生肉以外に「つくね」「鶏ハム」「ミートボール」「燻製」「ソーセージ」など様々な純系名古屋コーチンの旨いものを通販展開しています。生肉は従来の冷凍方法で課題となっていたドリップや離水による食品・食材の品質低下を防止するための技術を使ったプロント冷凍(生肉は高鮮度維持冷凍肉)で提供しています。

これからはどこに注目するのか

 やはり名古屋コーチンのシンガポール展開です。新型コロナ禍に落ち着きが出れば、相手国からの視察も早まります。通関の壁を乗り越える日も近いと思います。
 もう一つ注目するのは一般家庭に普及することです。名古屋コーチンの知名度は抜群にありますが、実際に食べるには飲食店に足を運ぶ必要があります。家庭で美味しく作れる焼き鳥と自家製燻製キットの展開です。

通販部門
https://item.rakuten.co.jp/nagoyakoutin/c/0000000187/

■地鶏|JIDORI

■「燻」動画

■愛知県農林水産部畜産課作成の動画
名古屋コーチンを楽しくわかりやすく名古屋出身女性講談師旭堂鱗林(きょくどうりんりん)さんが説明しています。また最後に大村知事からの応援メッセージもあります。